横っ腹。

笑いのツボは何ですか ?

30年以上前のテレビ番組は、「面白い」を前提として、なんでもありでしたね。

楽しく見ていたのは、バラエティ番組の「8時だョ!全員集合」でした。

35年以上も前の番組かな…!?

タライが落ちたり、池に落ちたり、壁に頭をあてると壁が抜けたり、一斗缶で叩いたりと、いつもそれを見て、笑っていました。

当時は、周りの言葉も気にせず、直感的に「これ、やってみよー」と、体当たりで挑んでいたと思います。

子どもながらに、素直に面白いと思い、笑っていました。

今は、食品の扱い、虐待、暴力、下ネタなどは、クレームやコンプライアンスの対象になるため、同じようなものは、NGですね。

…あの時、笑っていた自分は!?

今は、時代の流れなのか、どんな番組も、周り(世間)の反応を見ながら放送しています。

笑いを表現する基準が変わったのかな?

笑いのツボは、家族や友人や仲間と、何気ない会話の中で、大笑いした話題がツボなのかな?

他の笑いのツボは、横っ腹をつっつかれると、笑ってしまいます。

保育士。

5歳の頃、大人になったら何になりたいと思っていましたか ?

5歳の頃の記憶は、うっすらとしか、覚えていないですね。

子どもの頃、お袋と家の近くの駅に行って、電車を見に行っていたと思います。

5歳の頃なのかは、わかりませんが、電車が好きだったと思います。

保育園の卒業アルバムの、最後のページにある、「将来の夢」には、「電車の運転手」と書いてありました。

5歳は、保育園を卒業する、1年前の年齢ですから、恐らく、同じ考えだったと思います。

余談ですが、保育園のときに、若林先生という女性の保育士さんがいたことを、覚えています。

あの時代の「松田聖子」の髪型をした、すてきな方だったと思います。

ふわっとした記憶ですが、保育園のときに実施された、夏の「夕涼み会」で食べた、種無し葡萄(デラウェア)を思い出します。

…胸が締め付けられます…。

アニバーサリー。

先日、嫁(妻)の誕生日を行いました。

毎年恒例ですね。と、言いたいところですが、嫁(妻)のアニバーサリーです。

いつも同じような、プログラムですが、家族全員で、外食をしました。

お店は「ひな野」です。

毎回、プレゼントはありませんが、毎回、手紙をつくり渡しています。

ひとつ心残りは、ケーキがなかったことです。

嫁(妻)も、いい歳になりました。

今でも夫婦間で、いろいろなことがあります。

長い時間、一緒にいるので、山あり谷ありだと思います。

お互い元気に、歳を越せればよいですね。

こんな私ですが、今後も、よろしくお願いいたします。

転倒。

今朝、お袋からショートメールが届きました。

お袋が転倒し、肋骨と右手の親指を、骨折してしまったとの知らせでした。

お袋は私の家から、車で5分ほどの距離に住んでいます。

ショートメールに返信したところ、すぐに電話がありましたが、電話口のお袋は元気でした。

お袋は「心配しなくてもいいよ」と、言っていましたが、通話後、お袋のところに向かいました。

お袋は、自治会の集まりに行くときに、石に躓いて、転んでしまったとのことでした。

また、お袋は、骨折したにも関わらず、職場から連絡があり、仕事をしてきたと言っていました。

頼まれると、断れない性格のお袋です。無理を重ねています。

「私の家に来るか?」と聞きましたが、「迷惑をかけてしまう」と拒みます。

痛々しい容姿でしたが、電話口と同じく元気でした。

その後、お袋は世間話を、たくさん話していました。

また、モチベーションも高かったので、安心しました。

モチベーションをなくすと、アウトですからね。

まだまた元気ですが、、、無理をしがちなので、見守っていきたいと思います。

楽曲。

ほとんどの人が理解していないことは何ですか ?

先日、テレビを見ていたら「工藤静香」楽曲ベスト5!?を、放送していました。

工藤静香の楽曲は高校生のときに、当時のマストアイテムのウォークマンで、たくさん聞きました。

「慟哭」「黄砂に吹かれて」「嵐の素顔」「くちびるから媚薬」などの、たくさんの楽曲の中で、1番の推し曲は、、、

「MUGO・ん…色っぽい」です。

今回の課題を考えながら、聴いていたら、思い出しました。

他の楽曲「私について」の歌詞の中で、、、

「私について、知らなさすぎるのは、どんな人より、たぶん私よ」、、、

学生のとき、この楽曲を聴いた時に、不思議な感じがしました。

今でも記憶に残る、フレーズです。

やはり、自分自身のことを、1番理解していないのは、私ですかね。

有益。

テクノロジーによってご自身の仕事はどのように変わりましたか ?

たくさんの乗り物があります。その中でも、鉄道の進歩は著しいと思います。

1872年10月14日、新橋駅〜横浜駅間で、鉄道が開通しました。

開通後、約150年ほどの時間が経過しました。

私が入社したときはまだ、山手線の車両全体が緑色、中央線の車両全体が橙色でした。

今では、カッコ良い鉄道になりました。仕事や旅行に欠かせない、乗り物です。

はじめて、中学生のときに新幹線に乗り、九州に行きました。

新幹線に乗るとモチベーションは、フルスロットルになります。

テクノロジーの進歩により、鉄道の速度は上がり、移動時間の短縮により得られた時間を、仕事や遊びに有効活用できるようになりました。

他にも、たくさんのテクノロジーにより、改善されたものもたくさんあります。

それでも、鉄道のテクノロジーの進歩は、仕事また遊びに、有益なものになりました。

いつ、リニアモーターカーは開通するのかな。

不可欠。

自分の目標を妨げることに対して、どれくらいの頻度で「ノー」と言っていますか ?

昔は、コンプライアンスやハラスメントという、言葉がなかったため、上司の命令は絶対でした。

「目標を妨げる」は、「上司からの指示により業務を妨げる」に置き換えて…。

今では、ある程度、上司からの指示を断れる、環境になってきたと思います。

職責による、必ず担当しなければならない業務については、完遂しなければなりません。

まだまだ、難しい時代ですね。

しかし、ひとつの組織の中で働くひとりであるため、自分のわがままばかりは言えません。

誠実に職務を遂行し、それを完遂することにより、上司からの信頼を得てから「ノー」が言えるような環境になると思います。

…今はよいですね。各企業も「コンプライアンス」の強化に取組んでいます。

1番厄介な、人間関係の改善にも取組んでいます。

企業において、風通しの良い職場環境は、必要不可欠ですね。

ヒーロー。

秘密のスキルや能力 (またはあったらいいなと思うスキルや能力) は何ですか ?

幼少の頃は、特撮番組やド派手な警察物語や、ロボットアニメなどの、夢のあるものがたくさんありました。

中でも影響を受けたのが、「勇者ライディーン」てすかね。

「フェード・イン」をすることで、ロボットとひとつになり「神秘の力」で、戦うところが好きでした。

当時、6段ギアの自転車が流行っていました。

私は、お袋におねだりして、中古の6段ギアの自転車を買ってもらい、「フェード・イン」のまねをしていました。

勇者ライディーンは、とても強くて、最後に鷹のような飛行体に変形し、敵にとどめを刺すところが、カッコ良かったです。

能力の課題なのに、憧れになってしまいました。すみません。他にも憧れは、たくさんありますが…。

たくさん絵を描いたのは、藤子不二雄の「パーマン」ですね。

パーマンの能力は魅力的でした。

119km/hで空を飛べたり、力が6600倍になったり、特に魅力的なのは、コピーロボットですね。

自分の身代わりになる、コピーロボットを仕事に行かせて、自分はゆっくりしたいですね。

天邪鬼ですね。

他のアニメキャラも、憧れる良い能力が、たくさんあります。

物語を支える、主人公や登場人物の能力もたくさんあります。

争いごとのために使用する能力ではなく、ひとのために使える有益な能力として、使っていただきたいと思います。

それが「ヒーロー」ですかね。

未知の能力…。

たくさん欲しいですね。

苦手。

どのような天候が好きですか ?

仕事の日と、勤務する場所、お休みの日によって異なりますかね。

天候により、モチベーションも変わります。

とは言え、やっぱり快晴で暖かく、歩くとかるくあせをかく程度の、気候がよいです。

寒いより、暖かいほうが、身体にやさしいと思います。

この歳になり寒くなると、節々や古傷が痛みますからね。

天候により、頭痛があったり、気持ちがふせてしまう方も、いらっしゃるとのこと。

配慮して、考える課題かもしれません。

みんなが気持ち良く、1日を過ごせる気候が1番ですね。

余談ですが、走ることが苦手だった少年の頃は、運動会の前日は「明日は、雨になれ!」と、てるてる坊主を逆さにして、吊るしていました。

転校。

最も影響を受けた教師は誰ですか ? なぜですか ?

家庭の事情により、小学生のときに2回、中学生のときに1回、転校しています。

転校は辛い。別れが辛いですし、辛い思い出が増えるだけでした。

現在のように、教師が生徒の心のケアーをするような時代では、なかったですね。

生徒数人で、先生のご自宅に、招かれたことがありました。

特に、何か良いことがあったわけではありませんし、悪いことがあったわけでもありません。

いつも、ボッチでしたね。先生に相談するという習慣もなかったですね。

金八先生、GTO、泣き虫先生、徳川龍之介などなどの、素敵な先生はいませんでしたね。

娘は担任の先生で「ほんとうによかった」と、言っていました。

子どもたちを、「絶対に転校させない」という考えでした。

子どもたちが、少しでも充実した学校生活を過ごしていることが、しあわせですかね。